2012/05/11

書籍感想)悲鳴伝/西尾維新

西尾維新の新作長編の感想です。ジャンルとしては、ヒーローもの。でもこの作者が書くものなので、一癖も二癖もございます。
色々深くて重い事を考えようと思えば考えられる気もするんですが、僕としてはもっとライトに、エンタテインメントとして愉しめば良いような気がしました。


物語の導入部分は紹介しますが、その後の展開についてネタバレはありません。


世界設定と導入

2012年10月25日、午前7時32分31秒から54秒までの23秒間。世界中の人が同時に、名状しがたい「悲鳴」を耳にしました。誰のものか分からない、どこから聴こえてきたか分からない、けれどはっきり分かる結果として、その悲鳴と同時に人類の3分の1が息絶えてしまいました。
「大いなる悲鳴」。原因も仕組みも公に知られないまま、半年ほどが過ぎた、そんな世界。

しかし、一般には秘匿されている公的機関(正義のヒーロー戦隊的な)では原因を突き止めており、その再発を阻止する為の貴重な戦力として主人公をスカウトに来る――。

主人公

空々空と書いてソラカラ・クウと読むこの主人公、名前の通り空っぽなキャラクターです。
人が死んでも心の底から悲しんだりしない。怒ったりもしない。
普通の人は「過ぎた事は仕方がない」事を頭で分かっていても心ではクヨクヨしてしまうものですが、空々くんは全く後悔というものをしません。これから起こる事については最善の道を選ぼうとするけれど、過ぎた事については全くどうでもいいという態度を普通に貫けてしまう人格の持ち主。

という紹介をすると、無気力型の流され主人公という感じがしてしまいますが――そして序盤は大いに流されますが――それはちょっと違います。分かりづらいけれど彼には彼のモチベーションがあります。
それが何なのかは、物語の結末に触れますので、ここでは伏せますけれど。

2回以上読む事をオススメ

僕の場合、初回は「異形のヒーローもの」という臭いがプンプン感じられて、なんだコレは?ちょっと気持ち悪いぞ?という思いで読んでいました。
が、最後まで読み終わって、主人公の分かりづらいヒロイズムをなんとなく感得してから再読してみると、意外にもシンプルというか王道的なヒーローものなのかも、と思えてきました。
そのギャップというか、転換というか、アハ体験じみたものがあって良かったです。

主人公が最後まで引いていた一線の結末は、良い事も悪い事もないまぜにして台無しにされた感じ(←良い意味で)ながらも、ラストシーンは意外にも美しいもので、作中でちらほら張られていた伏線がびしっとラストに集結しています(伏線というほど隠れていない線も)。
そういう意味でも再読がより楽しい1冊だと思いました。

初回の不気味さ

「世界の危機を救う為に戦う正義の機関に主人公が入隊する」という展開は、ヒーローものの導入としては王道と言えるほどやり尽くされたものですが、「良く分かんないけどとりあえず23億人ほど死んじゃった」という世界の危機にはびっくりしました。

そして、半年ほど経っているというのもポイント。変にリアルな事になっています。

あんな大事件があったのに、大事件と言っても足りないくらいの極大事件があったのに、世の中がそんな風に、普通に回っているのが、僕にはとても不自然に見えるって言うんでしょうか……
ー「悲鳴伝」第1話より

ここでいう極大事件とは、世界人口の3分の1を削り取った「大いなる悲鳴」を指しています。

「僕は野球部に入っているんですが
(中略)
練習のキツさに、あまりのハードさに、愚痴っていた先輩がいたんですよ
(中略)
『あーあ、今この瞬間、またあんな悲鳴が響いてくれれば、練習も中止になるのになあ』って――その先輩はそう言ったんです」
(中略)
信じられなかったのは、先輩のことそれ自体でもあるのだが、その直後にあった、他の部員達の反応だった――ミーティングに参加していた野球部員は全員、その発言を受けて笑ったのだ。
大爆笑したのだ。
先輩の発言は――どっと、受けたのである。

ー「悲鳴伝」第1話より

…読んでいてぞっとしました。怖い。微妙に現実にありそうなのが怖い。

ここに限らず、もっと露骨にこの物語を不気味でダークでグロテスクにしているシーンはいっぱいあります。映像化するとしたらR15かなーという感じ。

でも、それでもこの作品を読み返してまとめるに、「素直な主人公の目を通して語られるシンプルなヒーローもの」といった表現になるだろうと、僕は思うのです。

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